• Temple Morning アンバサダー

【松本紹圭のテンプルモーニング法話と対話 2】人間の堆肥化と死生観。そして「イズム」か「ダルマ」か(2021/6/19)

更新日:2021年7月31日

東京神谷町の光明寺では、月に2回ほど「掃除ひじり」の松本紹圭さんがTemple Morningを開催しています。

参加者と一緒に20分お経を読み、20分お掃除をし、最後の20分間は紹圭さんが「今、感じていること。考えていること。出会ったもの」などについての話をシェアする時間です。

90回近く行われてきた参加者との“法話と対話”——ダイアローグ。

その中から、ぜひみなさまにも考えていただきたいお話を、少しずつテキスト化していくことにしました。

光明寺のTemple Morningの雰囲気を少しでもお伝えできたらと思っています。

(text by Temple Morning アンバサダー)



——雨の土曜日。いつもは平日開催で、88回のうち雨に降られたのは2回だけ。レアな状況がふたつ重なった、89回目の光明寺テンプルモーニングです——


ありがとうございました。テンプルモーニングへのご参加がはじめての方、今日参加されて、いかがでしたか?


参加者1「あのー…お経が難しかったです。急に音階が変わったりして」


はじめての方にはちょっと唐突でしたよね。すみません(笑)


参加者1「あとは、お墓を掃除することって普段しないので、気持ちいいなって思いました。自分の家のお墓しかしたことなかったので」


他所(よそ)の家のお墓に触れる機会は、なかなかないですよね。


参加者2「私もお経が難しくて。普通に淡々と同じ調子で続くのかと思ってたら全然違って」


歌みたいですよね。


参加者2「はい(笑)お掃除のほうは、あっと言う間に時間がきてしまいました」


今日は雨だったので、お経の時間をたっぷり取って、普段のテンプルモーニングでは読まないお経を読んでみました。音程があって歌のようでもありました。はじめての方にはちょっと難しかったですよね。


参加者3「都会のど真ん中にこんな良いお寺さんがあるって知らなかったので、参加してみてよかったです。で、やっぱりお経の音程が難しかったですが、”南無阿弥陀仏" を何度も繰り返すところはロックバンドの煽りのようで、すごい一体感が出たな!て思いました」


(笑)みんなでの読経は、確かにグルーブ感が生まれますね。ありがとうございます。


(4歳の子どもの顔を見ながら)初めて参加の方ですか? どうでしたか。


参加者4(子どもの父)「(子どもに)楽しかったですか?って」


面白かった?無反応…(笑)ありがとうございます。




さて。お掃除の後のこの時間は、最近あった出来事や気になっていることを僕からシェアしたり、みなさんの感想やご意見を伺ったりしています。


前回は、ヒューマン・コンポスティングという「人間の堆肥化」についてお話しました。これは、人が亡くなった時の葬送のお話で、「土に還ろう」というものです。現代の日本では、99%以上の場合、人は亡くなると火葬され、焼かれた遺骨はお墓に——ここから光明寺の墓地が望めますが——こうした墓石の元に納められます。


今、世界では新たな葬送方法が生まれつつあります。バイオテクノロジーによって「人間を堆肥化(ヒューマン・コンポスティング)」するという構想で、遺体をバクテリアが分解し、6~7週間で完全に土にするというもの。すでにアメリカのワシントン州では合法化されいて、シアトルでベンチャーが立ち上がっています。そしてついにこの春、ヒューマン・コンポスティング施設が稼働を始めたそうです。


僕は2年前にこの話題に触れて、ここにきていよいよ強い関心をもっています。

前回のテンプルモーニングで、ヒューマン・コンポスティングについて参加者のみなさんの感触をうかがってみたら、「土に還るのもいいかも」と手を挙げられる方がけっこういらっしゃいました。


最近、僕はこうしてずっと、埋葬方法について考えを巡らせているのですが、そうしていると思いあたることはいろいろあります。その一つが、私たちの人生観や死生観は、「人間、最後はお墓に入るんだ」という意識がベースになっているんじゃないか、ということです。


人は亡くなると——

棺に入れられて、火葬場に運ばれる。

棺は火葬炉に納められ、火葬場の人がスイッチを押すと、火が入る。

遺体は棺ごとすごい勢いで燃え、1時間ほどで焼骨される。

取り出された骨は、骨壺に入れられて

後に、お墓に埋められる——


私たちの知っている人間の最後って、まあ「そういうもの」ですよね。


この「そういうものだよな」という感覚が、日常の死生観に実は大きな影響を与えているんじゃないか、と。

ところが「人間、いずれ焼かれて骨になる」と思うしかない選択肢のなかった「死」に、ここにきて新たな「土になる」という選択肢が出てきたというわけです。

きっと、自然と「死生観」は広がっていく。


今、あらゆる分野において民主化が進む時代にありますが、この流れのなかで「葬送の民主化」もあるんじゃないかと思っています。


とにかく、近く、稼働をはじめたシアトルのヒューマン・コンポスティング施設を一度訪問したいと思っています。

続きは、今後も皆さんに報告していきたいと思います。



あとは、そうですね——新しいプロジェクトが始まりそうです。


僕は以前から、ここ最近の人々の精神性や信仰をめぐる時代の流れを「ポスト・レリジョン(Post - Religion)」と表現しています。


ちなみに、ここ神谷町・光明寺は「浄土真宗本願寺派」という宗派に属していて、先ほど皆さんと読経したのは「浄土真宗本願寺派」のお経です。

本願寺派は他の宗派と比べて統制が効いていて、例えば、お経の節回しは、本願寺派のお坊さんが本山で学んだ正確なものを、それぞれのお寺に「忠実に」持ち帰ります。ですから、どちらの本願寺派のお寺を訪ねても、今朝と同じ節回しのお経を聴けるわけです。

みなさんはもう、本願寺派のお寺であればどこへ行っても大丈夫ですね——ちゃんと読めます、よね?(笑)


——というように、宗教・宗派(=Religion:レリジョン)には、その語源が含む意味からして、「固く縛る」「結びつける」という性質があります。少し極端に言えば、「それ以外」を排除して、内を守るといったイメージです。


ここは浄土真宗本願寺派のお寺で、所属僧侶の僕は浄土真宗本願寺派僧侶という肩書きです。そうすると、たとえば「先月高野山に行ってきました」とか松本さんに言ってもいいのかな、と思われることが時々あるんです。

他の宗派のところに行ったなんて言うと、気分を悪くするんじゃないか、松本さんは——みたいな。


でもそういう捉え方自体が——その方が悪いんじゃなくて、そういう宗教文化を宗教者側がけっこう作ってきちゃったところはあるんだと思うんです。


これは、日本の近代化の過程において、国家として西洋諸国に肩を並べるべく導入された文化でもあります。

それ以前は、私たちの信仰は神仏習合的なあり方にあって、渾然一体となっていました。「神さま仏さまは、みんな大事だよね」と、宗派や所属など関係なく鷹揚な感覚にあったものを、宗教・宗派(=Religion:レリジョン)で縛るようになった。信仰の「蛸壺化」とも言えるでしょうか。


仏教がそうしたところにあって、一般的に、仏教は「Buddhism(ブッディズム)」と表現されることが多いです。でも、果たして訳語としてどうなのかと思うんです。「ism(イズム)」とは「主義」をあらわし、つまり「Buddhism=仏陀主義」ということになっている。

でも、本来、仏教とは主義ではないはずです。「イズム」になると、そこには必ずエゴが生まれ、ボーダーがひかれ、争いが起こる。仏陀=お釈迦さまはむしろ、「そうあってはいけませんよ」と説かれたのであって、「仏陀イズムになっちゃいけない」っていうことこそが、仏法であり、仏道だったはずなんです。




その辺りのお話は、今、グローバルで最も活躍している仏教徒——仏道を歩む人とも言える、スティーブン・バチェラーさんが積極的にされています。彼は、仏教とは本来、「ブッディズム」ではなく「ブッダ・ダルマ」(=仏法)である、と言っていて、僕も深く賛同するところです。

そういう意味で、このテンプルモーニングは「Religion」ではない、「Post-Religion」の動きの一つだと思うんです。


仏陀イズムなのか、浄土真宗イズムなのか、親鸞イズムなのか—— そういうものとの繋がりというより、たまたま縁あって、今この場に来てくださったこと自体がとても貴重なことだと。

みなさんは全員が仏教徒というわけでも、光明寺の檀家というわけでもありません。それを問われることすら、ありません。今日ここに来て、明日、イスラム教のモスクに行ってもいい。僕も、いろんな信仰に触れるのが好きです。


それぐらいの「距離感」が大切なのではないかと思います。たくさんの依存先の一つとして、ときどき腰掛けていただいたらいいのかな、と。

それぐらいが、ちょうどいいと思っています。


というわけで今、Post-Religionの流れの中「それぐらいの距離感」で仏法に親しむ世界——ブッダ・ダルマを大事にしている人——をつなげる3年間プロジェクトが動き出しそうとしています。世界の「ブッダ・ダルマに生きる人」をつなげてみようと。

たとえば、ご本人はユダヤ教徒でいらっしゃるかもしれませんが、『サピエンス全史』の著者 ユヴァル・ノア・ハラリさんなどもそのお一人です。いつも瞑想されてるんですよね。インタビューとかでも後ろになんか仏教っぽい掛け軸が掛かってたりとかして、仏教徒ではないけどブッダダルマに生きてる。


みなさんも、そんな人を見つけたら、ぜひ教えてください。




すみません。自分の仕事に協力してくださいっていう話でした(笑)

そんなところで、今日のお話は以上です。


参加者5「あの、さっきのヒューマン・コンポスティングのお話なんですけど。あれすごいいいなと思って。酵素風呂ってありますよね。発酵したおが屑の砂風呂版みたいな。あれに入った時に、 "土に還る" ってこういうことなんだと感じました。温かくて、土みたいな匂いもして」

ほかほかしてるんですよね。


参加者5「そう。幸せな感覚です。こうやって還っていくのかなと思ったら、なんだか死ぬことが怖くなくなったんですよね。みなさんもよかったら酵素風呂、一回やってみたらいいと思います」


コンポスティング体験が酵素風呂でできる!(笑)死のイメージが変わりそうですよね。

僕がお坊さんということもあって、ときどき、遠からず死に直面するような方から質問をされるんです。「火葬っていうのは熱くないんでしょうか」と。その時意識はないとはいえ、火で焼かれると思うと、やっぱりちょっと怖いなと思いますよね。

たしかに「ヒューマン・コンポスティングだったら酵素風呂みたいな感じです」って言えますね(笑)


参加者6「アメリカの施設では、どのようにヒューマン・コンポスティングをやっているんでしょう」


アメリカでお坊さんやっている友人に「そっちではどんな感じで受け止められているのか」と尋ねたら、葬儀社に聞いてくれたんですが、多少はアメリカでも話題になってて説明会とかもやってるようです。


で、堆肥化をしている間、遺体を何度か回す必要があるそうです。ずっと置きっ放しというわけにはいかない。

ご遺体は「ご安置される」ものであって、ずっと回り続けているっていうのもどうかなって思いますよね。

ご遺体は「ご安置されるもの」とされてきた社会にどう受け入れられるか。遺族の心情としても抵抗のある部分だろうと思うので、抵抗なく一気に広まるということはないだろう、という話でした。


参加者6「回すのは、早く堆肥化する技術っていうことですよね」


そうですね。技術的なことも含めて、改良の余地があるのかな、という感じですね。


ということで8時半になりました。


ちょっと今回、用事があって——京都に住んでるんですけど——車で来たので、もし京都までタダで行きたい人がいたら送って行きます。よかったらどうぞ(笑)5時間半ぐらいかかりますけど。


じゃあどうも、みなさん、ありがとうございました。

いってらっしゃい!